今回は、議論を巻き起こすかもしれないテーマです。
「カサンドラ症候群」に悩む方からご相談を受けたときのお話です。
相談者さんからいろいろとお話を伺うわけですが、「あなたはカサンドラじゃないですよ」と言うと、「いいえ!私はカサンドラです。だって、こんな病気にも、あんな病気にもなりましたし、旦那にこんなことをされて、あんなこともされて…」と話が続きます。
これって、何かおかしいですよね?カサンドラをやめたくてご相談なさっているはずなのに、私がカサンドラじゃないと伝えると、途端に「カサンドラをやめない理由」を創り出すんです。
もちろん、私としてはこうなることを予想して、相手の話を否定しています。この方の問題点が見えているから、あえて否定しているんです。
なぜ、カサンドラで悩んでいる人が、カサンドラじゃないと言われて喜べないのでしょうか? それは、”カサンドラ”をアイデンティティにしているからなんです。カサンドラという「概念」と「自分」を一体化しています。
ですから、自分のアイデンティティを失いそうになると、しがみついて「今の自分を変えないために」必死に抵抗します。でも、これでは良くなるものも良くなりません。
厳しい言い方になりますが、究極のところ、私たち人間は、自分で「今の自分」を選択しています。どんなにツラい状況であっても、必要としてその状況を選択しているんです。
だからといって、その方が悪いのではなく、こういった事象は、HSPやアダルトチルドレンとおっしゃる方にも、同じように起こります。この方たちが、握りしめている概念を私が否定すると、ものすごく抵抗されます。
私は、その概念自体を否定しているのではなくて、むしろ自己理解を深めるためにも、カサンドラやアダルトチルドレン、HSPといった情報を知ることは必要だと思っています。
ただ問題なのが、そういった概念は、ともすると自分を制限する「枠」「アイデンティティ」になってしまいがちなんです。
よく、人はメリットのあることしかやらないと言いますが、カサンドラやアダルトチルドレンといった概念が、無意識に「心の拠り所」「コンフォートゾーン」になっているのだと思います。
どんなに苦しくても今の状況がコンフォートゾーンですから、そこから抜け出すには相当な覚悟とパワーが必要です。
つまり、カサンドラという概念にしがみつくことで、「成長」という痛みを避けられると言えます。私たち人間は変化を恐れていますが、この場合も成長という「変化」を恐れている状態です。
口では「カサンドラで悩んでいる」と言いつつ、心の底ではカサンドラでいることに「安心感」を得ているから、カサンドラを否定されると猛烈に抵抗したくなるのだと私は推測します。
人が成長する時には必ず痛みが伴います。子供のままでいたい「人間の退行欲求」と「たましいの成長欲求」が葛藤しているのではないでしょうか。
いま気づきましたが、変化に対する「不安」も、人間にとっては「痛み」として感じるんでしょうね。
このラジオを聞いている方の中にも、カサンドラやHSP、アダルトチルドレンといった概念に当てはまると思っていらっしゃる方がいるかもしれません。
本当にその「概念」がないと、あなたで居られないのでしょうか?ご自分を縛り付ける「枠」になっていないか、自己対話をしてみてはいかがでしょうか。