20代-人生の転機「うつ病と自立」

毒親・親子

自分を見つめ直す

「何かがおかしい」と心のどこかで思いながら大人になり、恋愛や友人などプライベートな人間関係にいつも悩んでいました。

感情的になって人を振り回したり、自分も振り回されたり、かなり酷かったと思います(当時、傷つけたり不快な思いをさせてしまった方々には、申し訳なく思っています)。

早く家を出たくて恋人と結婚しようかと考えたこともありましたが、依存で「逃げ込み婚」をしてしまうと、確実に両親と同じ罪を繰り返していたでしょうから、あの時に結婚しなくて本当に正解でした。

自立を模索するなかで、自分の問題と向き合うため心理系の本を読んだり、カウンセリングの勉強会へ通っていた頃、心理療法の交流分析と出会いました。

交流分析を学ぶことで、「自分に何が起こっていたか」「虐待が自分の人生に大きく影響していた」と心の底から理解でき、気持ちがラクになったのを覚えています。

また、幼少時に直感した通り、虐待は世代間連鎖することも交流分析の勉強を通して再認識しました。

親は我が子に対して「子供だから何も解らない」と高をくくっていますが、それは勝手な思い込みです。子供は大人よりももっとシビアに親を見ています。

お母さんが生きているだけで充分?

実家を出て証券会社で営業をしていた20代半ばの頃、うつ病と診断され自殺未遂を繰り返す深刻な状態に陥りました。

当時のエピソードですが、救急車で搬送された際、お見舞いに来てくれた恋人と母と3人で話す機会があり、虐待のある家庭と無い家庭の違いをまざまざと感じることがありました。

幼い頃に実母を亡くした恋人は、私が母の不満を口にする度に「お母さんが生きてるだけで充分じゃん」と語っていました。

でも私の母に会ってからは、「お母さんは恵実の元気が無くなったと言ってたけど、元気を無くすようなことを自分が言ってるよ」「病気が悪化するのはお母さんが原因」と、共感してくれるようになったんです。

結局、似たような経験が無い人には、親が子供を傷つけるなんて想像もできないのだと思います。

うつ病の娘を厄介者扱いする毒親

うつ病発症後もしばらく仕事は続けましたが、何度も自殺未遂を繰り返していたので、主治医が心配して実家に戻るよう勧められるようになりました。

そうはいっても、実家に戻れば病状が悪化するのは明らかでしたし、何より主治医の先生が優しい方で心が救われていたので、別の病院に通うことに抵抗もありました。

母にその件を相談すると、「叔母さんのところへ行ったら?叔母さんは優しいわよ」と、無関心な冷たい返事が返ってきたんです。

母の実妹である叔母が、母とは正反対の性格で優しいのは知っていましたが、あまり面識もなく、何より他人に迷惑をかけたくなかったので、仕方なく実家に戻りました。

その際、母は「恵実が実家に戻ると決めたんだからね‼」と怒りながら、自分の身を守るように何度も念押ししてきました。

自殺未遂を繰り返す娘にかける言葉として不適切ですし、いつもめんどくさそうな態度だったのを記憶しています。「心配する」という心情が欠落しているんですよね。今でいう「モラハラ」です。

ある人にこの話をしたら、「感情表現が苦手なのよ」と言われましたが、そういう次元の話ではないでしょう。娘の病気(命)を心配できない親が現に存在します。

娘の病気は娘だけの問題で自分には関係ない

実家に戻ってからは、案の定「自分を壊す」一歩手前まで病状が悪化して、新しい主治医からは、親から離れるための入院を勧められました。

でも、当時の私は「自分の中にあるものを全部吐き出したい!」という思いが強かったため、タウンページでカウンセリングを探して、命の恩人となるセラピストさんを見つけたのです。

そのセラピーの初回だけ母が同席したのですが、「恵実の病気は恵実だけの問題で自分には関係ない」と言い放つなど、どこまでも無関心な態度を貫いていました。

当時、薬を毎日30錠飲んでも寝たきりの日々が続いており、セラピーに通う時も「立つのがやっと」の状態で、壁をつたわないと自力で歩けないほど衰弱していたのに、です。

そんな状況でも、私の体調を気遣う言葉を父母から聞くことは一切なく、「面倒なことは誰かが何とかしてくれる」「自分は一切関係ない」との態度だけは一貫していました。

自分の娘が病気であると認めることは、【親としての責任】や【自分の内面と向き合うこと】を避けて生きてきた両親にとって、よほど都合が悪かったのでしょう。

セラピーで学んだこと

セラピーに通い出しても、すんなり解決とはいきません。長年続けてきた思考パターン(エゴ)が抵抗するからです。

親を頼りにできない分、一人で頑張ってきた。こんなに頑張ってきたんだから、これまで得たものをそう簡単には手放さないぞ!また傷つけられるのはゴメンだ!

このような恐れ(エゴ)の抵抗を何度も乗り越えました。

セラピーでは、「自分」がどんな生き方をしてきたのか、エゴ(思考パターン)のクセについて指摘を沢山もらい、苦しみながら時間をかけて私自身を成長させました。

すると、しだいと聞きたくないことも受け入れられるようになり、それと同時に、体調も少しずつ回復し始めたのです。

もちろん、そこまで回復するには私の努力だけではなく、セラピストさんの情熱と純粋な思いで支えていただいたことが大きかったと思います。

成長にも順序があって、吐き出さないと受け入れられない、手放さないと受け取れないのです。

(私は現在コーチングセラピーを行っていますが、相談者さんによっては「感情の吐き出し」と「感情の八つ当たり」を勘違いしている人もいます)

当時の記憶があいまいで詳しく書けないのですが、家庭環境に恵まれなかったとはいえ、エゴの思い込みで何重にも自分を縛りつけ、自分で身動きが取れない状態にしていたと思います。

確かに、親の虐待による被害はありました。でも、その後の人生をリカバリーするのは、自分の力でできることなんですよね。苦しみを長引かせた原因は”自分”でした。

人それぞれ「大事なもの(=エゴ)」を握りしめていますが、それは単なる「思い込み」です。今までの生き方が不必要になったから、手放すために不調和を体験しているんです。

あなたが握りしめている”手放せないもの”は何でしょうか? 今すぐラクになれるのに、そうしないのはナゼでしょうか?

自立コーチ三島

 
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■毒親相談.com主宰 三島恵実
(うつ病・毒親サバイバー)
 
野村證券在籍中に20代でうつ病を発症。
 
自殺未遂を繰り返したのち、セラピーに通い、うつ病と毒親(父が発達障害・母が自己愛性人格障害)の問題を克服。
 
2014年「これでよかった。十分だ」という内なる声と共に、圧倒的な至福感が湧き上がる体験をする。
 
その際、「両親が成長と目覚めの協力者」という「人生のしくみ」に気づく。
 
現在、「意識の成長と目覚め」を目的として、苦しみを心の解放につなげる自立コーチングを提供中。
 
オールドソウル(輪廻転生を卒業するたましい)

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