娘を叩く”役目”を負う親はいない
私たちは精神世界と現実世界を生きているのですが、スピリチュアル業界に居る人ですら、この二つの世界をごっちゃにしている、という話をこれまで何度かしました。
これに似た話で、数年前に某有名カウンセラーが、虐待をやめられない母親からの相談に対して、「キミの娘さんは、叩かれるために生まれてきた。キミは叩く”役目”を負わされた」と、回答して炎上したことがあります。
もちろん、そんなお役目はこの世に存在しません。
私の個人的な経験をお話ししますと、発達障害の父と自己愛性人格障害の母からの虐待を乗り越えることで、意識が反転して「人生のしくみ」に気づくことができたので、今では両親に感謝しています。
私にとって両親は「反面教師」であり、私のスピリチュアルな成長を助けてくれる「協力者」でした。でもだからといって、両親に私を虐待する”お役目”があったとは思いません。
「体験からの学び」が不足している人は、精神世界と現実世界を混同しやすいので、「虐待が役目」という論理の飛躍をしてしまうのだと思います。
スピリチュアルな使命・役割とは
本来、スピリチュアルな使命・役割というのは、誰かから与えられるものではなく、命が喜ぶ体験をすることです。
「命が喜ぶ体験」といっても、みんな大好き「ワクワク」ではありません。命が喜ぶ体験とは、自分の命を自分で磨く、自分の命を自分で愛する、自分の命を自分で育てることです。
もし私が相談者さんに「私の使命はなんでしょうか」と質問されたら、「あなたの使命は生きることです」と答えます。本当に、それしかないんですよ。
私はセラピストの師匠から、「クライエントの体験を広げることが、セラピストの仕事」と、教わったので、相談者さんが自分で気づいたほうが納得がいくだろうと信じています。
「自分で気づく体験」を楽しみに生まれているというのに、どうして皆さんは、問題を解く前から「答え」を求めるのでしょうか。
自分の命は自分で磨きましょう。それがあなたの使命です!