”スピリチュアル”で自分を縛り付けていませんか?
本来、スピリチュアルは自分を自由に導く概念であるはずなのに、いつの間にかスピリチュアルで自分を縛りつけていることがあります。
たとえば、「お肉を食べるのはスピリチュアルじゃない」とか、「ワクワクすることをしないといけない」とか。もっと自由であっていいはずですよね?
お肉を食べたければ食べたらいいですし、ワクワクを基準にしなくても、自分の興味や関心、情熱に従えばいいのです。人から必要とされることをやっても自己実現につながります。
結局は、自分で決めたらいいことであって、”スピリチュアル”とやらに自分の行動を決めさせるのは、完全に「他人軸」です。自分の欲求を抑圧すること自体が、スピリチュアルとはかけ離れています。
ほかの例で言うと、「寂しさを紛らすために恋愛してはいけない」という考えも、一見スピリチュアルっぽいですが…
「恋愛したい」という自然な欲求を抑圧している「自分」に気づくことが、本当のスピリチュアルなのです。これも前回からお話ししている「自己否定」に当たります。
感情自体に良いも悪いもありませんから、孤独感もあっていいですし、何よりも自分の感情を客観的に捉えて、しっかり感じ切ることが大事なのです。
人間ドラマをやり切ることが私たちの使命
それでは今回のまとめに入ります。
スピリチュアル情報を基準にして、一見”正しそうな道”を選ぼうとしたり、スピリチュアルを基に欲求を抑圧するのは「他人軸」であることに気づいてください。
傷つきながら何かを得ないと、ゴールにたどり着けないのです。スピリチュアルを「転ばぬ先の杖」に使ってはいけません。私たちは「転んでなんぼ」です。
苦しみ、悲しみ、嫉妬、怒り、「こんなはずじゃなかったのに」といった人間ドラマを通して、本来の自分に目覚めるプロセスを体験するために、私たちは生まれています。
さんざん人間ドラマをやり切った後でしか、スピリチュアルな目覚めはありません。ただ生きるんじゃなくて、生き切るのです。
人間としての体験をしっかり積む前に、外から情報を入れると、かえってエゴが大きくなります。過保護な親のように、自分を無菌室に閉じ込めるのはやめましょう。
ご自分の人生を信頼して、たくさん傷ついて、たくさん失敗してください。行動して失敗することが失敗なのではなく、傷つくことを恐れて何もしないことが人生最大の失敗です。