統合ワークが急速に広まった今こそ、統合を誤って実践していないか、自己点検が必要ではないでしょうか。今回は並木良和さんによる「統合の落とし穴」を解説します。
ワガママと自分軸の違い
まずは、並木良和さんが出演されている《チヒロ☆なう》2019の第12回から。
並木さんいわく、統合は「愛と調和」「敬意と感謝」をベースに行うもの。
ところが・・・
ワガママでいい
自由でいい
このビデオの中で語られていますが、「私は自由にやるから、不快に感じたらあなたが統合してね」「あなたが不愉快になるのはあなたの問題」はNGです。(思いっきり人のせいにしてますからね)
「自分に一致する」「自分を大切にする」には、愛と調和・敬意と感謝に基づく必要があります。
「あなたが統合すること」
「素直に感謝する」
「外側の現実」は「自分の内面」の映し出し。だからこそ「自分の問題」と捉えられる人が、目を覚まし続けられます。
愛と調和、敬意と感謝を欠いていないか、留意しましょう…というお話でした。
うっかりすると、無意識に「自分はできている」というエゴができてしまうので、私も気を付けます。
真に統合を行うと愛の人になる
ちなみに統合が進むと、より「人間らしくなる」と聞いたことがあります。
これは「自分の欲求に素直になる」だけでなく、「慈愛・思いやりに満ちる」という意味ではないでしょうか。
自立が深まると、自分を信じるように相手を信じられます。
つまり自分と同じく、相手が持つ「本来の力」を信じられるようになるので、ヘンに同情したり、同調することがなくなるのです。
私の師匠がそうでしたが、統合を徹底して行っている方は、謙虚かつ真摯に人と向き合います。
相手が困っていれば手を差し伸べますが、相手の成長を妨げる依存関係にはなりません。
「あなたも自分の力で乗り越えられます」と、ポジティブな態度(愛そのもの)で相手と接するので、「あなたの問題」などと切り捨てることもありません。
カウンセラーやセラピストは「私が癒やす・解決する」という姿勢ではなく、相談者が持つ「本来の力」を引き出し、サポートする関係ですよね。
サポートはするけど「相手の課題」には踏み込まない。「相手の課題」を他人が解決するのは過干渉であって、本人が成長する機会を奪うことになります。
相手を切り離して”無関心”を決め込むのではなく、相手に積極的な関心を向けつつ、本人が自力で解決できるよう、愛を持ってサポートするスタンスです。
誤ったスピリチュアル:レベルの混同
ずいぶん前のことですが、某ヒーリング講座に通った時のエピソードを思い出しました。
先生いわく、「自分が許可したことしか現実化しないから、私の言葉で傷ついた人がいれば、その人が傷つくことを自分に許可しているだけ」とのこと。
私は彼女の言葉で不快な思いをしましたが、彼女の言う【理屈】は理解できます。「現実は自作自演。人のせいではない」ということですよね。
ただ、不快な思いをさせた側が謝罪の言葉もなく、そういった【理屈】を持ち出すのは自己正当化のように聞こえます。
当時、かなり疑問に感じたのでネットでいろいろと調べたら、『奇跡講座(奇跡のコース)』のサイトで納得のいく回答を得ました。
日本語字幕がありますので動画をご紹介します。
このなかで「殺人やレイプをどう考えるのか」という質問に対し、「二つのレベルの混同」という話が出てきます。
二つのレベルとは「視点」の違いです。
優劣はありません。
◆レベル1:霊的視点
形而上学(けいじじょうがく)的視点
=目に見えない、形の無いものが対象
=純粋な一元論
=神、存在、霊魂などが主要テーマ
◆レベル2:人間的視点
形而下学(けいじかがく)的視点
=実体のある、物質的なものが対象
=自我を通した体験、学び、感覚
この二つのレベルを混同すると、他者の現実を無視することになってしまいます。
結論から言うと、人間界での「体験」や「感じたこと」が、霊界から見て「幻想」だったとしても否定しなくていいのです。
実際に感じたことを否定するのは「統合」ではなく「分離」ですからね。「感じたこと」を癒やしたいときは統合ワークをお勧めします。
以下、字幕の引用です。
物質界の視点では、殺人やレイプを「ただの幻想」として無視したりしません。コースを真に実践するなら、人々に対して、思いやりが深く、心遣いが細かく、愛情深くなります。(中略)
そして確かに、すべての病も、すべての苦痛も、助けを求める呼びかけであると認識するでしょう。けれども、自分の経験を否定するようにと、求められているのではありません。
実際、テキストの初めのほうで、この世界では、自分の物理的経験を否定することは、事実上不可能であると述べられています。(中略)
あなたに求められていることは、トラウマ的な経験を前にしたとき、イエスか精霊をあなたの経験の中に招き入れ、それを異なった見方で見られるよう助けを求め、感じ方を変えることなのです。
人間界と霊界のレベルを混同すると、他者の現実を無視してしまう可能性があることは、お分かりいただけたと思います。
講師の先生が反面教師になってくれたおかげで、勘違いポイントの理解が深まりました。大変感謝しています。納得できないことは、自問し続けて「学び」を得ましょう。
本日のまとめ
人を傷つけた側が「傷ついたのはあなたの問題だから」と切り離すのは分離思考。
いくら霊的視点で「正しいこと」だったとしても、「愛と調和」に欠けるのであれば、それはエゴです。
他者の現実を軽視していないか、定期的な自己点検が必要ですね。私も「謙虚さ」を忘れないようにします。
そういったことも、人間界レベルの常識で考えれば解ると思うのですが、誤った”スピリチュアル”を実践していると、言い訳に使ってしまうこともあるようです。
霊的な学びも大事ですが、人間界の常識も大事だと私は思います…。これはノンデュアリティ(非二元)に”ハマって”いる方にも共通して感じること。
スピリチュアリティにしても、ノンデュアリティにしても、「体験的に理解」する前に、外から知識として「頭で理解」すると、現実世界を軽視するワナにハマるのかもしれません。
「目に見える現実世界」と「目に見えない霊的世界」は、どちらも大事です。
エゴ(思考の偏り)は無意識にできてしまうので、自分の統合ワークが偏っていないか、定期的な自己点検をしましょう。
今回は良い復習になりました。
以上、自己反省で締めくくります☆