愛するということ③本当の愛とは

愛するということ
この記事は約5分で読めます。

エーリッヒ・フロム『愛するということ』より

本当の愛とは

成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間の中にある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。

愛によって人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。愛においては、二人が一人になり、しかも二人であり続けるというパラドックスが起きる。

孤独から抜け出すために人は愛を求めますが、「本当の愛」でなければ達成できません。本当の愛とは成熟した愛のこと。成熟した愛とは、独立した大人どうしが結合すること。

「あなたが幸せなら、私はいいの」という犠牲的献身、服従とも違い、赤い糸でつながった「片割れ」を探すのも違います。片割れどうしで、たがいに寄りかかっていると、片方が倒れると二人とも倒れてしまいます。

一人でも立っていられる、それと同時に結合することができるのが成熟した愛。お互いが譲り合い、話し合うことで愛が深まるのであって、勝手に思い込んだり、どちらかにただ合わせるだけでは足りません。

愛の能動的な性格を、分かりやすい言い方で表現すれば、愛は何よりも与えることであり、もらうことではない、と言うことができよう。

大事なことは与えること。もらうためには、まず自分から与えなければなりません。もし「この人に与えたくない」と思ったら、その人を愛していないということです。

愛は与えること:では何を与えるのか

自分の一番大切なもの、自分の『生命』を与えるのだ。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分の中に息づいているもののあらゆる表現を与えるのだ。

与えることによって、かならず他人のなかに何かが生まれ、その生まれたものは自分にはね返ってくる。ほんとうの意味で与えれば、かならず何かを受け取ることになるのだ。

与えるという行為のなかで何かが生まれ、与えた者も与えられた者も、たがいのために生まれた生命に感謝するのだ。

与えるのはプレゼントなどの「物」ではありません。与えるとは、共有すること、分かち合うこと。

二人で分け合うので、与える側もゼロにならないどころか、与えることで何かが返ってきて、良い意味での交換が成立するのです。

愛は決して、もらうところからは始まらず、与えるところから始まります。たとえば、自分が良いと思ったものを相手にも教えるなど、人と共有することが与えるということです。

「自分だけが大事」といった「精神的なケチ」になると人を愛せません。

「自分がかわいい」というナルシシズム(自己愛)は、すべての人にありますが、ある程度これを克服しないと人に与えることはできないのです。

ナルシシズムの克服

もしある人が、生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛している。もし他人しか愛せないとしたら、その人はまったく愛することができないのである。

ナルシスト傾向が強い人は、自分の内に存在するものだけを現実として経験する。外界の現象はそれ自体では意味を持たず、自分にとって有益か危険かという観点からのみ経験されるのだ。

誰でも自分が一番大事と思うのは、ある意味当たり前の事だから、ナルシシズムの克服は難しくなります。

自分を大切に出来なければ、他人を大切にすることはできないので、ナルシシズムも必要です。でも、ナルシシズムが強くなると「本当の愛」を達成することがむずかしくなってしまいます。

自分のために奉仕してくれる人、自分にとって居心地のいい人、つまりは「自分に都合のいい相手」を無意識のうちに求めてしまうのも、ナルシシズムの表れと言えます。

たとえば「あなたにとって理想の恋愛相手は?」と聞かれて、「一緒にいてリラックスできる人がいい。心が安らぐ人がいい」、あるいは「ぐいぐい私を引っ張ってくれる人がいい」といった答えは、自分の欲求を叶えてくれる相手をイメージしているはず。

このような考え方だけで相手を選ぶと、恋愛は長続きせず、やがてはもっと別のものを求めるようになり、それが満たされないと他の相手を探すようになってしまうでしょう。

自分を一番大切と考えてしまうと、お互いに「何か与えてくれ!」とただ求め合うだけの関係になってしまい、永続的な人間関係は成立しません。

自分のやりたいことばかり求めるナルシシズムが暴走すると、自己愛から利己主義に向かいストーカーになることもあります。

ストーカーは自分がかわいい余り、この「かわいい自分」を支える人がどうしても必要で、その人がいなくなることが許せません。

相手の事は考えず、自分の事しか考えない。弱い自我を他者に支えてもらわないといけないほど不安定。そのために他者を必要とする、ナルシシズムの病的な形。

人間が成熟して精神的に大人になっていくことで、自己愛はバランスが取れてきますが、幼児的なところから抜け出せないでいる人もけっこう多いです。

快・不快だけで物事を決めているのは非常に幼児的。しかも快・不快は続かないので、成長がありません。

つまり、人から見て自分がどう見えるか、「人から愛される人間にならないといけないかな」とか、「人からダメな奴と思われたくない」という客観性がないと、向上心が無くなります。

現状に満足して「このままでいいや」と思うような、自分を大切にしない人は努力もしません。

人間は理性が無いと成熟できないので、感情や気分だけで決める、好き嫌いといった単純なレベルで決めているうちは、ナルシシズムを克服できないのです。

成熟した人間にそなわる愛の4要素

配慮:他人に対し、何をすれば喜ばれて、何をすれば嫌がられるのか、相手の気持ちを想像して行動する

尊重:一方的に相手を褒めるのではなく、自分と同じように大切な存在であると認める

責任:嫌な事があっても我慢して関係を続ける

理解:相手を理解することだけではなく、自分自身を知ることも含まれる

成熟した人間だけが人を愛することができます。配慮と尊重は「他者への思いやり」ですが、「自分の事」とのバランスが大切です。

この4要素がすべてではありませんが、これがないと「本当の愛」を実践できません。日頃の言動に照らし合わせて、客観的に考える材料にすると良いでしょう。

現代は、顔が見えない人とも交流しており、人間関係が希薄になっています。そのため直に会うのは近すぎると感じる人も多いのでは?

インターネットのような間接的な人間関係は、ナルシシズムが全開になるうえ一方的に止められるので、愛が生まれるには遠すぎると言えます。

タイトルとURLをコピーしました